まぼろしの蔦子コレクション
「〈まぼろしのコレクション〉を手に入れるのよ!」 部室へ入ってきて開口一番、築山三奈子さまは高らかにのたまった。 「……」 そのお姿を仰いで、真美は校正のペンを横に置き、深くため息をついた。すばやく三奈子さまが聞きとがめて、 「なによ、そのため息は」 「たとえワケの分からないご用件でも、お姉さまが久しぶりにおいでくださったと喜ぶ気持ちが、多少は無いわけでもないらしい、――そんな自分が、われながら哀れで」 「歓迎されてるのか、されてないのか。よく分からないセリフね」 「ご自分で熟考ください。なんですか、その〈まぼろしのコレクション〉というのは?」 幸か不幸か今、この部室にはお姉さまと真美の二人きりで、みんな出払っている。 体育祭の総括特集号、その入稿前で、自分も含めて誰もがてんてこ舞いの真っ最中なのだ。 「忙しそうだわね。総括なんて毎年決まりきってるんだから、チャチャっとあげてしまえばいいのに」 「――それですまないことは、よくご存知でしょう」 いくつかの記事については定例のパターンですませることができるとはいえ、最終的には細部に手を入れ、目を通さなければならない。 というか、たとえ全体が〈総員、力を尽くして努力せり〉てな感じの同じパターンでも、読者が注目するのはあくまで〈ディテール〉なのだ。 「憧れのあの方が、何時何分に、どこで、何を、どのようにこなしておられたか。細部のフォローが重要なんです。そこに何よりも手間を取られるんですから」 「むろんよ。だからこそ忙しい間をぬって、こうして来たんじゃないの。今日だってこのあとすぐ予備校なの。数分しか余裕はないわ」 「……またの機会でけっこうです」 「それじゃ間に合わないでしょう。ラストスパートの詰めを甘くしてどうするの? そんな詰めの甘い紙面では、新聞部の体面にもかかわるわ」 「……」 いま思うに、去年の今ごろ、その種の詰めを先に立ってフォローしたのは私だった。まだ一年生の。――真美は苦々しく思い出す。 ちなみに同じ時にこの当時部長のお姉さまが何をしていらしたか、真美の記憶にはない。 「とにかく、これをごらん」 三奈子さまは壊れた小さな紙箱をいくつも取り出した。 五、六個もあるだろうか、真美はそれを手にとって、 「24枚撮り写真フィルムの外箱。なんですか、こんなゴミをわざわざ」 「蔦子さんの遺留品なのよ。体育祭当日の」 「遺留品?」 「ゴミ箱から拾ったのよ。問題ないわ」 (――呆れた) ついこの間、ほうきとちり取りを持って回れといったのは、伊達ではなかったらしい。 「ねえ真美。彼女ってデジカメのユーザーじゃないのね」 「そうみたいですね。やはり写真に一家言ある蔦子さんとしては、そのあたりのこだわりがあるようです」 「おかげさまで、こちらの取材と推理の材料も手に入るのよ」 (――推理って) またろくでもないことを思いついたのではないでしょうね。 真美は胃が痛くなってきた。それでも仕方が無いので、お義理ついでに、 「――どういうご推理ですか?」 「彼女がこれだけのフィルムを、どれほどの時間で消費したと思う?」 「消費って、使い果たしたんですか?」 「そうよ。それもたかだか借り物競争から後だけで、全部ね」 「それはまた」 いくら写真部とはいえ、それだけの時間で使いきれる枚数ではない。 「たまたま借り物競争の前に行き会ったら『もうこれだけしか残ってないなんて』とブツブツいいながら、隅っこの方で手持ちのフィルムの数を確かめてたの。横目にはそれが確か五、六個あったわ」 ところが終了時にまた行き会ったら『しょうがない、今日はこれであきらめよう』とかつぶやきながら、ちょうど箱を捨てるところだったのよ。――と三奈子さまはいった。 「つまり五、六個全部使い尽くしたというわけですか」 「そうよ。真美、あなた、どう思う?」 「ちょっと多すぎますね」 プログラムは確か、――〈借り物競争〉のあとは〈障害物競走〉〈着せ替えリレー〉〈色別対抗リレー〉、そして成績発表だった。 時間の長さから考えれば、24枚撮り五、六個とは、尋常な量ではない。 「とはいえ、蔦子さんならありえないことではありません」 うちの依頼や写真部での活動以外に、プライベートで大量のスナップを撮影、コレクションしていることくらいは、蔦子さんと付き合いがあれば誰でも知っている。 普通なら肖像権侵害のなんのと、文句の一つも出るだろうが、〈当人の許可無しには絶対に公開しない〉という蔦子さんの長年つちかってきた信用があるので、誰もクレームをつけたりしないのだ。 そうやって築いたコレクションが膨大なものであろうとは、真美も日ごろ見当くらいつけている。そう言うと、三奈子さまは我が意を得たりといった感じで、 「それよ、それ」 「なにがそれですか?」 「それを今回公開してもらうのよ」 「は?」 「今回の体育祭の蔦子コレクションを、一挙公開してもらうのよ。そしたら記事のディテールなんてすぐ埋まるわ」 「……ああ」 要するに〈まぼろしのコレクション〉って、そういう意味か。 なるほど、噂に聞く蔦子さんのその種のコレクションを公開してもらえれば、今回の体育祭だけでも、相当の彩りが添えられるに違いない。 ――違いないが、 「却下です」 「なんですって?」 「写真部に対して当新聞部から公式に要請したスナップは、約束どおりの分をとっくに受領済みです」 「別にいいでしょう、追加したって」 「お言葉ですが、それらは撮影時にすべて使用目的を被写体その他にお断りしてあります。かりに蔦子さんのコレクションを放出してもらうとしても、その種のお断りについては、いまになって別途こちらで対処しなければいけません。時間がかかるばかりか、下手をすると揉め事を招くだけです」 「事後でお断りすればすむことよ」 「それではそもそも蔦子さんが、絶対に首を縦には振らないでしょう」 「新聞部部長がそんな弱腰でどうするの。写真部なんて、こちらの思い通りにこき使ってナンボのもの――とまではいわないにしても、向こうは〈撮る〉、こちらは〈載せる〉の、フィフティ・フィフティなんだからね」 そこへとつぜん時計のアラームがけたたましくなり始めた。三奈子さまが慌てて腕時計を見て、 「いけない、もう時間だわ。――じゃあ真美、仕方がないから帰るけど、一度きちんと蔦子さんに交渉しなさい。とにかく、彼女のコレクションは、宝の山に違いないのよ」 「それは分かっています」 「だから体育祭部分だけでもきっかけにして、少しでも食い込むの」 「きっかけ、ですか」 「そのきっかけ作りが最終的な目的よ。それでこそ新聞部千年の将来が保証されるの!」 そういうのを〈取らぬタヌキの皮算用〉というのではないか。 「わかったわね、真美。なんとしてでも押し切るのよ!」 あわただしく言い置くやいなや、三奈子さまはすっ飛んで扉の向こうに姿を消した。足音がパタパタと駈けて、消えていった。 足音が消えると、真美は思わず、もう一度、深々とため息をついてしまって、 「そんなこと、できるはずがないでしょう、お姉さま」 実際問題として、写真部、というよりは蔦子さんの機嫌を損ねるのは、得策ではないのだ。蔦子さんは個人的に紅薔薇のつぼみ、福沢祐巳さんたちと仲が良く、その縁で上級生の紅薔薇さまや黄薔薇さまの受けも悪くない。 要するに蔦子さんは、先年の三奈子さまの独走によってどうしてもぎくしゃくしたままの、山百合会とのホットラインなのである。ここで蔦子さんとこじれて損をすることはあっても、得になることは何ひとつない。新聞部部長としてそのような危険は冒せない。 「――今日のところは大丈夫だとは思うけど」 早めに手を打っておいたほうがよさそうだ。 真美は席を立った。
さいわい蔦子さんは写真部の部室にいた。こちらも一人だけらしい。 「外に出してないコレクション?」 蔦子さんは少し首を傾げたが、あっさりと、 「あるわよ。見たいの、真美さん?」 「それはいいのよ。ただね、実を言うと、うちのお姉さまが、どうも噂に高いあなたのそのコレクションに、目をつけたみたいなのよ」 「へえ」 「その件で今後、あなたにあれこれ言うかもしれないけど、無視しておいてもらいたいのよ。少なくともこの件で、築山三奈子さまがあなたにどういう話も持ちかけても、それは新聞部の公式の見解ではありません」 「分かったわ」 蔦子さんは笑うと、 「でも、そんなに気にしなくていいのよ。――大したものもないし」 そう言って、隅のロッカーの鍵を開けた蔦子さんは、 「――見る?」 三四冊ほど、バインダーを取り出してきて、 「ちなみにこれで体育祭関係全部ね。どうぞ」 「拝見します」 真美は手にとって、パラパラとめくり始めた。 「どう?」 「――さすがね」 心の底から真美は賛辞を呈した。 ここ一年半ほどの間に、報道写真を見る眼くらいは多少養ったつもりである。 その目で見る限り、蔦子さんの被写体の捕らえ方は、さすがだった。しかも当日、決して多くはない暇に、よくぞこれだけ見場のいいスナップを、大量に獲得できたものだ。 「もし何か記事で困ってるのなら、追加で持っていってもらっても構わないわよ、真美さん。むろん被写体にお断りした上でだけど」 「ありがとう。でも、――今回は遠慮しておくわ」 ここで飛びついてはいけない。 新聞部は〈蔦子コレクション〉に対する野心は一切持っていない、――その明白な意思表示をおこなう、いまこそが絶好の機会なのだ。 蔦子さんはちょっと目を細めて、 「そう」 「ありがとう、蔦子さん。いい目の保養と気分転換になったわ」 真美は席を立つと「ごきげんよう」と挨拶して写真部の部室を出た。――少し遅れて、閉まる扉の向こうから 「ごきげんよう、真美さん」 蔦子さんの声だけが聞こえた。
(〈まぼろしの蔦子コレクション〉――か) 部室に戻って頬杖をつきながら、真美はじっと考えていた。 別に間違った対応をしたつもりもないし、客観的にも〈手を出さない〉という自分の判断は、今のところ正しいと思う。 ――とはいえ、 「さすが、私のお姉さまはあなどれないわね」 何事につけても、とにかく胡散臭そうな部分に働くあの天性のカンだけは、いくら頑張っても自分の到底追いつくところではないと、真美は思った。 「だって、――少なすぎるものね」 道理でためらいなく見せてくれたと思った。――枚数が少なすぎるのだ。 (お姉さまの証言だと、借り物競争以降のわずかな時間に、蔦子さんは百数十枚のスナップを撮っているはず) 24枚撮りのフィルムを五、六個使ったのだからそういう計算になる。 にもかかわらず、さっと一瞥しながらこっそりスナップ隅の時刻を確認していった分には、さっきのバインダーで時間的に該当する写真は、せいぜい三、四十枚程度だった。 (蔦子さんほどの腕で、残りをすべてミスったとは考えにくい) そうすると考えうることは、 (何らかのタブーに引っ掛かる写真を、取り捨てたか、それとも――) 〈真〉の〈蔦子コレクション〉が、裏側にやはり存在するのか。 蔦子さんの性格からして、そのような写真を廃棄するか、それとも秘蔵するかは、―― (五分五分ね) 要するに判断はつかない。自信家ではあるけれど、もし他人に不都合があれば、たとえ自分の気に入りの写真でも執着を見せない、――真美の知る限り、蔦子さんにはそんな淡白な側面もあるらしいからだ。 (しかし、万が一そのようなコレクションがあるのならば) 今すぐとはいわないにしても、近いうちに、――お姉さまにあえて攻めさせ、自分が退く。 その連携で多少のものは引き出せるのではないか。 「いちど、お姉さまにご相談してみよう」 「は、何をですか、部長?」 「――いいえ、こちらの話よ」 しまった。部員Aが戻ってきていたのを忘れて、つい口に出してしまった。 「どうなさったんですか、部長?――何だか、とてもうれしそう」 「――そう?」 そうだ。久しぶりに電話でもしてみよう。他人の耳を気にしないですむし。 今日の予備校は、何時くらいに退けるのだろうか。
時間がいくらあっても足りないこの頃だけど、 (少しくらい早く、針が進んでも構わないわよ) 正面の壁掛け時計に向かって真美はそっとつぶやき、そして再び校正のペンを手にとった。 |
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