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「もりもりと」――または「佐藤聖が〈穴〉を掘った話」

Molly Molly

 

 

 

 真夏の昼下がり。

 祐巳が暑中見舞いの進物をたずさえ、ひさしぶりに池上家を訪れて玄関をくぐると

「何ですか、これは?」

 ――目の前の上がり口、下駄箱、壁に廊下に、そのほか見渡せる向こうまで、目に付くかぎり、そこかしこに、――白いお札が張られていた。

 何もないのは上下方向、床と天井くらいなものだ。

「……何に見える?」

 なぜかちょっと疲れたお顔で、出迎えてくれたこの家の住人の一人――加東景さんが言った。

「お札に見えます。――なんかの、おまじないの」

 いつもこんな風なんですか、と祐巳は訊いた。よく考えれば玄関から入るのは今日が初めてだったのだ。

 加東さんは首を横に振って、

「それから、むろんお札なんかじゃないわよ、これは。あいにくと佐藤さんは最近流行りの陰陽師ではないし、貼ってあるのは霊力なんか、かけらもない、――これはただの短冊」

「短冊というと――あの七夕なんかで使う短冊ですか?」

「そう。主に和歌や俳句を書いたりするのに使うわね」

 つまり五、七、五、七、七か、五、七、五ってやつだ。

 祐巳が加東さんのあとにくっついて廊下を歩きがてら、目をやると――、

「えっと……ぎんなんの?」

 それらは祐巳にも読める字、――いわゆる〈くずし字〉ではないらしいが、ちょいと見には十分立派に見える、お習字の字体で書かれているようだ。

「一応、俳句なんだって」

「俳句ですか」

 弓子さんの筆跡だろうか。

(お習字くらいは、それこそ何とか流とか、楽にこなしておられそうだけど)

「――ちがうわ。いま佐藤さんって言わなかった? 彼女がワープロで書いて、適当にフォント設定して、プリンターで打ち出しただけ」

「佐藤さんって、――え、これって聖さまが書かれたんですか?」

「書いたのも貼り出したのも佐藤さんよ。他に誰がこんなユニークなことをすると思う?」

「……」

 むろん自称〈俳句〉を作ったのも佐藤さんよ、――と言って加東さんは、

「少なくとも店子の私はいうまでもなく、大家の弓子さんだってこんな愉快なことはしないわよ」

「……それはよく分かります」

「――もっとも弓子さんが好きにやらせたから、こんなありさまになったのだけど」

「……」

 祐巳は反応に困った。――ここはリリアンの後輩として頭を下げるべきなのだろうか。

「べつに祐巳さんが気に病む必要はないけど」

 というか、あの人のやらかすことに、いちいち目くじら立ててたら、気の休まる暇もないわ、そうでしょう?――加東さんは肩をすくめた。

 そういえばこの方は聖さまのクラスメイトなわけで、

「そんなに、いろいろ事件があるんでしょうか?」

「――聞きたい?」

「……いいです」

(ぷるぷる)

 聞かない方がいいだろう。――直感的に祐巳は首を横に振った。

 

 リビングでは家主の池上弓子さまが微笑みながら出迎えてくださった。

「――ごきげんよう、お待ちしてましたよ」

「ごきげんよう、弓子さま。ごぶさたしております」

「まあ祐巳さん。弓子さん、でよろしいといったでしょう」

「あ、はい、弓子さん」

「玄関までお出迎えもしないでごめんなさい、ちょっとこの二三日、足を痛めていて」

「とんでもない、こちらこそ大した用もなしにお邪魔しまして」

 祐巳は母親から託されてきた進物を手渡した。

「ごていねいに。でも次回からは手土産など、なしでいらしてね」

 かえってお招きしにくなってしまうから。――といって弓子さんは、とりあえず手元におさめてくださった。「礼状を書くので、持ち帰ってくださいね」ともおっしゃる。

 しばらく世間話をしてから、祐巳はさりげなく、肝心かなめのことを聞いた。

「ところで弓子さん――」

「この短冊のことね」

「……はい」

 とっくに見抜かれていたらしい。

「聖さま――佐藤聖さんはあれから、ちょくちょく、いらっしゃるんですか?」

「母屋の方に来たのは先日が初めてだったわね」

「初めて?」

「ええ。あるとき、この短冊をたくさん抱えて――『うちでは貼れないので、良かったらこちらのお宅を拝借できないでしょうか?』――っていらしたのよ」

(――もしもし)

 あなたは大学に入っていったい何をやっているんですか、聖さま。祐巳は心底そう思った。

 それではまるっきり、謎の人物Xではないか。

 ――あいかわらず聖さまの行動は謎だ。

 でも、――

(謎ですねって笑って済ませるにしては、――この後輩は小心者なんです)

 やはり、ここはリリアンの後輩として頭を下げるべきなのだろうか。

(不徳でボケた先輩が申し訳ございません、くらいでいいのか)

 ――と、祐巳がまだ口に出してないのに、弓子さんがくすくす笑い出した。

「まあ祐巳さん、変に考えなくてもよろしいの。佐藤さんには、よければ好きに出入りしてもらって、好きにしてもらって構わないのよ。――何といっても〈後輩〉のすることですもの」

「は、はあ。恐れ入ります」

 そうだった。この方こそはリリアンの〈大先輩〉なのだった。

「――まだ貼ってないのもあるわよ、見てみる?」

 うしろから加東さんが現れて、祐巳に短冊の束を差し出した。

 そうだ、肝心なことを忘れていた。

(聖さまが――俳句?)

 たしか、小説や漫画もたいしてお読みにならないと聞いたあの聖さまが――俳句?

 多少興味が湧いて「拝見します」と受け取り、祐巳は一枚目をめくった。

「えっと……『かしわぎの どくがにかかる おとこかな』」

(――は?)

 柏木の 毒牙にかかる 男かな。

 加東さんが小さな声で読み上げて、

「――何のことだか分かる?」

「……」

「柏木って、源氏物語の柏木ノ巻のこと? 確か、源氏に出てくる柏木って、光源氏の奥さんと浮気するんだったよね。それで〈毒牙〉なのかしら?」

 でも〈男〉って何よ、――と加東さんは首を傾げている。

(――すみません。ただの時事ネタなんです)

 というか、実話ネタです。

「何だか、鑑賞は素人の私でも、生々しい迫力を……感じさせられる句ではあるけど」

 加東さんの感想は耳に入らないふりをして、祐巳はあわてて二枚目をめくった。

「えっと……『シンデレラ 演(や)るくらいなら 死んでやる』」

「『演る』と書いて「やる」とルビを振るのね。語尾の〈やる〉と押韻?」

「……『革命で 合わせてバラバラ 黄バラバラ』」

「ひょっとして薔薇と、離れるという意味の〈バラバラ〉を掛けてるのかしら」

「……『ようこそと 笑顔で迎える 蓉子さん』」

「蓉子さんて、どなた?――まさか〈ようこそ〉と掛けるための架空人名じゃないでしょうね」

「……『あさましや 苦しいときの マリア様』」

「こちらは――多少意味は通じるかな」

「……『でこちんや ああでこちんや でこちんや』」

「こちらは、もはや意味不明ね」

(――う、う、う、う)

 うっ……わ。

 祐巳はさすがに短冊の残りを読む気力が失せた。

(これは、これは)

 というか――これは俳句か?

 というか――これが俳句か?

「何ですか、これは?」

「それは、こちらが聞きたいわよ」

「というか、何で聖さまは……この自称〈俳句〉なんて物を、こんなにたくさん」

「ああ、そのこと。――授業の影響でしょう」

「授業ですか?」

「そうよ。この前、夏目漱石の授業を受けたからね」

「夏目漱石? あれ、加東さんと聖さまって、英文科じゃなかったですか?」

「そうよ。夏目漱石は英文とも縁が深いの。イギリスに留学していたし、相当よくできたらしいわよ。彼の書いた小説やなんかにも英文の教養が相当関係しているの」

「へえ、そうなんですか。でも、それと俳句というのは?」

「漱石といえば、小説以外でも漢詩と俳句の名手で有名な人なのよ。特に俳句については、有名な正岡子規の親友で、漱石自身もかなりの作り手だったとか」

「ふーん。……あ、でも」

 それはそれでいいとして、だからといってなぜ、聖さまが〈俳句〉なのか?

「そこまでは分からないわよ。――でも俳句はともかく、漢詩は付け焼刃では作れないでしょう、さすがに」

「そういうものなんでしょうか」

 あんまり古典は得意ではないので。祐巳にはどちらがどちらとも、全然見当がつかない。

「とにかく自然に俳句を詠む、えっと……そうそう〈写生文〉で作るとかいうのが漱石の親友、子規の主張だったっていう話で」

「写生文ですか?」

 何だかよく分からないが――絵を描くようにありのまま、ということだろうか。

「……とにかく、なんか漱石が気に入ったらしいわよ、彼女」

 ――加東さんもいまいち、そんなに明確に理解しているわけではないらしい。

「それにしても、あの、加東さん……これって本当に俳句なんですか?」

「さあね。五、七、五で詠んでるからいいんじゃないの?」

「――それだけでいいんでしょうか?」

「いいんじゃないの?」

(何かもうちょっと――詩心とかいうのが必要なのではないだろうか)

 自分にしてからが、えらそうにいえるほど国語が得意なわけではないけど。

 さすがに、そう思ったちょうどそのとき、祐巳は弓子さんが背を曲げて咳き込んでいるのに気がついた。加東さんが気遣わしげに、

「弓子さん? だいじょうぶですか?」

「い、いいえ、ち、違うの。だいじょうぶよ。――ごめんなさい」

 そう言うとまた背を曲げて、くっくっ、と声を立てている。――どうやら苦しんでいたのではなくて、何か笑っていたらしい。

「本当にだいじょうぶですか?」

「だいじょうぶよ、景さん。――ところでね、祐巳さん」

「はい」

「私が口をはさむことではないのだけど――あまり〈なぜ〉とか〈どうして〉とかいった、理由や事情のたぐいを、気にする必要はないと思うの」

「気にする必要はない、ですか?」

「ええ、こういうことはね。――そういうものよ」

 どこにでもあることだから。――そういって弓子さんはやっと笑い止んだ。加東さんが不審な様子で、

「どこにでもあることですか?」

「そうよ。それも昔からね」

 弓子さんは微笑んで、

「私も――作ろうかしら」

「えっ!?」

「景さん、私が作ったら、その――ワープロで打って下さらない、聖さんのみたいに?」

「いえ……はあ、それは簡単ですけど」

 加東さんは目を白黒させていた。

「壁も柱もまだまだ空きがあるし、いざとなれば天上でも庭でも構わないから、だいじょうぶよ」

 あ、でもむろん、あなたの離れまでは侵犯しないから安心してね、と付け加える弓子さんに、

(あの――別にそういうことを気にしているわけではないと思います)

 祐巳は内心で突っ込んだ。――そこへ、とつぜん弓子さんが、

「そうそう、祐巳さん、忘れてたわ」

「は、はい。何でしょうか?」

「この短冊を――佐藤さんが祐巳さんのことを詠んだんですって」

「え、私ですか?」

「それも俳句じゃなくて〈短歌〉なんですって。いい機会だから、あなたに差し上げましょう」

 はい、といって弓子さんはお手元の文箱の中から一枚の短冊を取り出し、祐巳にくださった。

「えっと、…………」

(…………)

「何、なんて書いてあるの?」

 横から加東さんがのぞき込んできたが、――祐巳は凍りついたまま動けなかった。

「何ですって、えっと――『もりもりと』――って!?」

 加東さんは絶句した。

(もりもりと、――ち、ち、ち、ち……)

 これ以上、とても口に出せない。

「景さんも祐巳さんも、二人ともどうしたの。私が代わりに読みましょうか」

(や、や、や、やめてください、弓子さん――いや、弓子さまっ!)

「いくわよ。『もりもりと ちちもみしぼる あしたより リリアンのゆりも ほころびにけり』」

 

 ――もりもりと 乳揉みしぼる 朝より リリアンのユリも ほころびにけり

 

 句中の「朝」には、律儀にも「あした」とルビが振ってある。そこだけ自筆だった。

「佐藤さんって――抱きつき魔なんですって?」

「だ、だ、抱きつき魔って」

 どこでそんな言葉を、弓子さま。

「しかし抱きついて〈乳揉みしぼる〉って……最近はすごいのねえ」

「さ、さ、最近って」

 最近だってそんなことは当たり前でもなんでもありません。――つっか、揉まれてません!

「祐巳さんにうしろから抱きつくと、恐竜の子供みたいな叫び声を上げるって、聞いたけれど本当?」

「ほ、ほ、本当って」

「なあに?」

「――その、つまり」

「つまり?」

「――実物の恐竜の子供の声は聞いたことありませんので、なんとも申し上げられません」

「違いないわ!」

 祐巳さんって面白いのね、といって弓子さんは今度こそ、顔を上げたまま大笑いなさった。

 

「まあ――なんというか、大変」

 木戸まで見送りに来てくれた加東さんが、しみじみとつぶやいた。祐巳は、

「大変、というのとも違うんですけどね」

 というより、大変という言葉は何にでも使えるのだ。――悲しいことにも、楽しいことにも。

「というか、そういうことじゃなくてね」

 加東さんはつぶやいた。

「今日は私、ちょっとした疎外感を味わったのよ」

「疎外感ですか?」

 加東さんは答えずに、ただ笑って、

「じゃ――また、近いうちにいらっしゃい」

「はい、ごきげんよう、加東さん」 

「――ごきげんよう」

 そう答えて加東さんは木戸をパタンと閉じた。

 

(――それにしても) 

 祐巳はため息をついた。

「当面このおうちには、来られないよね……」

 自分の出入りから、ことが明らかになっては大変だ。

 どんなことがあっても、知られてはならない。

(だって、このおうちは――いまやリリアン・マル秘大作戦)

 極秘事項の巣? Xファイル?――とにかく内輪ネタのテンコ盛りだ。

 玄関に廊下にリビングに、あちらの短冊こちらの短冊、

(新聞部にでも、もれたら)

 そんなケースは考えたくない。

「そういえば――昔ばなしの『王様の耳はロバの耳』ってのがあったよね」

 たしか、王様の秘密を知った床屋が、黙秘を強いられるストレスに耐えかねて穴を掘り、その穴の中に秘密をしゃべりまくるという話だ。

(つまり、その、――弓子さんちが、聖さまの〈穴〉なのだろうか?)

 

 まあ聖さまが何を考えていようがいまいが、とにかく山百合会の安泰のためにも、この家の、この秘密を守り通すのは紅薔薇のつぼみの役目――、

(はあ…………)

 祐巳は自分も〈穴〉が欲しくなった。

 

other texts にライナーノーツ未満の雑記を書きました。

なお、本編のタネとなった『もりもりと』の単語は、

Sableさん作『タイをなおして』より得たものです。

ご同意を得た上で明記し、謝意を表します。

『タイをなおして』SableさんのサイトL'eau de roseで閲覧できます。

 

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