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ルドルフ大帝がみてる/子羊たちの陰謀

―銀杏英雄伝説―

 

 

 

「ごきげんようっ!」

「ごきげんようっ!」

ここは帝都オーディン。

新無憂宮の大廊下を、足早に行きかう貴族や貴婦人方の、挨拶の声もせわしない。

普段は悠揚迫らず、扇をかざして優美に足を運ぶ貴紳たちの、いつにない様子は他でもない、大事件が突発したからで――つまり、皇帝崩御。

 

銀河帝国ゴールデンバウム王朝、第36代皇帝・フリードリヒ四世が急死した。

「ええっ!」

「へ、陛下が!?」

大騒ぎする紳士淑女たちの様子を見ていると、とっても大層なことに思えるかもしれないけれど。――実は必ずしもそうでもなかったりする。

それはむろん、貴族や役人たちは表向きは、まじめそうな顔して「永遠不滅の帝国」とか、「神聖不可侵の皇帝陛下」とか口にするものである。

そう、きまじめにとれば、皇帝崩御は銀河中にこれ以上はないくらいの一大事のはずなのだ。

でも、その貴族も役人も、自分たちの拠って立つ〈帝国〉についてはともかく、皇帝が神聖だとか不可侵だとかは、――内心では誰ひとり、まったく信じてなどいないのだった、実は。

だから、口では皇帝陛下崩御については、言葉の限りを尽くして哀悼の意を表してみせる。そんな貴族たちも。ちょっと陰に回ると、

「……やっと死んだか」

「……お年でしたもの」

「……いや、何でも……だとか……」

「くくく」

「ふふふ」

――などと平然とささやき交わす。

それが帝国五百年、36代の〈万世一系〉の実態。

じっさい、皇帝が死んだとて、せいぜい葬式をつかさどる役人たちと〈新無憂宮かわら版〉の発行人たちが忙しくなるだけのこと。――むろん、特定の権力にくっつきすぎたがために、急激な没落を免れない新興成り上がりの連中が、多少の大騒ぎをするのだけど、それも後世の歴史家から見ればほんの些細なことに過ぎなかったりするのだった。

そして門閥貴族たちはむしろうきうきとして、大葬の礼という一大社交場で、いかに自分を他人よりも派手に見せるか、――そんなことに夢中になるのがいつもの例だった。

ところが今回はそれだけですまなかった。

なぜなら――フリードリヒ四世は、後継者を定めぬままに、死んだから。

つまり後継者争いは避けられない情勢だった。

下手をすれば内乱である。

 

――ふだんは騒ぎなど許されぬはずの宮中。

音たててせわしなく行きかう人々を、大廊下に掲げられたルドルフ大帝の肖像画が、じっと黙って、いかめしく見下ろしていた。

 

 

 1、

 

フェザーン自治領主府。

厳重なセキュリティシステムに守護された、奥の一室に、地球教の修道士、乃梨子は、司教さまこと志摩子さんと並んで、大きなソファに座っていた。

テーブルを挟んで向かい側には、フェザーンの自治領主さま(ミスター・フェザーン)、令・ルビンスキーさま。

令さまの真後ろ、ソファを挟んで秘書官の由乃・サン=ピエールさまが、手に書類を取って立っている。

(――いや、これは「立っている」というより)

ソファにぴったりとくっついている、とでもいうほうが正しい。

乃梨子はそう思った。由乃さまが、まるでソファを抑えつけるように、ひしとソファの背中にくっついているので、上部がゆがんでいる。おかげでその前に座った自治領主さままで、ゆがんだ姿勢で崩れていて、

(――しかも)

顔がいいかげん、何というか、――

(そう、にやけている)

どことなく顔が崩れているように見えてしかたがない。

(うーむ)

とてもではないけど〈自治領かわら版〉での、あのりりしい自治領主さまと同じ人物とは思えない。

(しかし、フェザーンの自治領主さまといえば、わが地球教においても大主教さまにつぐほどの最大級重要人物)

――の、はずだけど。

(えてして、現実とはこんなものなのか)

正直、威厳も何もあったものではない。――これでいいのか?

(どうにかなりませんか)

乃梨子は志摩子さんを見やったけど、志摩子さんは黙って首を横に振った。

(……)

お二人のことをよく知っているらしい。

乃梨子が正面を向くと、ちょうどそのとき自治領主さまは流し目気味に、由乃さまを振り返って、

「ちょっと、由乃」

「何よ、自治領主さま」

「まあいいけど、由乃」

「そうなの、自治領主さま」

(――注意するんじゃ、なかったのか)

期待するだけ無駄だったらしいと、乃梨子は気がついた。それどころか、

――うふふ

――あはは

(……幻聴まで聞こえる)

乃梨子は首が痛くなってきた。だって、ソファにもたれかかった、上背のある自治領主さまがちょっとのけぞって、首から上が、ちょうど由乃さまの腰の辺りに寄りかかった格好。

(首と、腰)

腰のほうはどうだか知らないが、首が痛そうで、見ている側までくたびれてくるのだ。ご本人も不自然な姿勢でつらいだろうに。

(と、思うのだけど)

自治領主さまはむしろうれしそうに、のんびりとくつろいでいらっしゃるようだ。

志摩子さんがぽつんと、つぶやくのが聞こえた。

「いつも、仲がよくて羨ましいわ」

(……そうか?)

単にヘンな人たちなのではないか。

乃梨子は素直にそう思いながら、自治領主さまの後ろにあらためて注目した。

(それにしても、これがあの有名な、フェザーンの由乃・サン=ピエールさまか)

そう、「フェザーンのつぼみ」こと、由乃さまといえば。

(名目は秘書官だけど)

その実は〈歌と踊りの才能〉で〈頂点〉にたどり着いたという、もっぱらのうわさだったが、

(歌や踊り?)

この人が、と乃梨子は不審に思った。由乃さまはそれなりに敏捷そうではあるけど、でも乃梨子にはなぜか、ピンとこなかったので。

「由乃さま」

「なに、乃梨子ちゃん?」

「歌や踊り、お得意ですか?」

「歌や踊り? なにそれ」

由乃さまはきょとんとしている。

(しまった。つまらない口を滑らせた)

この場では唐突な話題にしか聞こえなかっただろう。

「いえ、いいです。失礼しました」

由乃さまのことはまた後日だ。今日はもっと別の重大要件で来たのだから。

「ふーん、いいの?」

由乃さまはそう言って、少し考え込んでいたけど、やがて、

「――あ、歌や踊りは知らないけど、マジックならできるわよ、ほら!」

「あ!……」

乃梨子の胸元から、とつぜん小さなぬいぐるみが出てきた。それを手にとってじっと見つめて、思わず、

「……ネズミですか?」

「失礼ね、鳩よ!」

(……あ、ほんとうだ)

羽が生えてる。

「……」

乃梨子は、そのぬいぐるみをしみじみと見つめた。

「な、なによ、乃梨子ちゃん!」

少なくとも、手芸の才能で〈頂点〉にたどり着いたわけではないらしい。

「由乃さま、お上手ですね、マジック」

「あ、ありがとう、乃梨子ちゃん」

由乃さまは少し赤くなった。そこへすかさず横から自治領主さまが、

「お見事、お見事」

手元の扇子を開いた。白地に赤字で「あっぱれ」と大書されている。

「……れっ、令ちゃん!」

由乃さまは、どこからともなく取り出したシルクハットで自治領主さまを張り倒し、

「いてっ! か、勘弁して、由乃……」

(……)

自治領主さまが頭を抱えて突っ伏した。シルクハットの中に、何かしら、硬いものが仕込んであったらしい。 

「――今度は真剣を食らわすわよ」

「うう……」

自治領主さまは、冗談ぬきで痛そうだ。

由乃さまは片手に凶器のシルクハット、片手を腰に当てて、後ろでふんぞり返っている。

(……まあ、なんというか)

お幸せそうなのは、いいのだけど。 

「ええと、……と、とにかく今日の本題に入りましょう」

――当てにならない招待主たちに、自分が仕切る必要を感じたらしい。

地球教の司教さま。つまり志摩子さんが当惑した声音で、でもきっぱりそう宣言して、やっと肝心のおはなしが始まったのだった。

 

 

 2、

 

「では、あらためまして、本日は遠路はるばるようこそ」

姿勢を正した自治領主さまが挨拶をのべるのに、乃梨子と志摩子さんも会釈する。

自治領主さまは直ちに話題を切り出した。

「緊急に集まってもらったのは他でもない。皇帝フリードリヒが急死してすでに一週間。最新の情報でもいまだ後継皇帝は決まっていないらしい」

志摩子さんがあとを引き取り、

「本来なら宮廷の話題など、あまり民間にはもれてこないのに、今回はかなり細かい事情まで、一般にも知れ渡っているようですわね」

そういって乃梨子の側を向いたのに、乃梨子は、

「今回は、隠している余裕もないし、――いや、隠す気もないのでしょう」

貴族も官僚も、みんな自分の出処進退に精一杯で、帝国の権威とか威厳とかいったことを考えている余裕がないのだ。

乃梨子の言葉に、みんなもうなづいた。自治領主さまは肩をすくめて、

「無理もない。紛糾は拡大するばかりで、候補者も、いまだにある程度までの絞込みがせいぜい、という状態らしいな。その辺の状況を、――由乃」

「はい、自治領主さま」

ソファの後ろから離れてスクリーンの前に立った由乃さまが、手元のパネルを操作すると、画面中央に先帝フリードリヒ四世の名前が浮かび上がった。

その周囲に順々に出現する名前を、由乃さまは指差し、

「じゃあ、かいつまんで説明するわね。そもそも先々帝オトフリート五世には三人の皇子があって、長男が皇太子リヒャルト、次男が先帝フリードリヒ四世、三男がクレメンツ大公。で、この三男のクレメンツが……」

「ちょっと待って、由乃。どこが『かいつまんで』なの?」

講釈がはじまって早々と、自治領主さまが由乃さまの言葉をさえぎった。

由乃さまは心外そうに口をとがらせて、

「なんで邪魔するの、自治領主さま!」

「いま話題になっているのは30年前の世継争いじゃないわ。あくまでも現在進行形の皇位継承よ」

「あら、かまいませんわ。興味深いし、勉強になりますもの」

志摩子さんが横からとりなすように口を挟んだけど、自治領主さまは笑いながら手を横に振って、

「だめだめ、司教。由乃の好き勝手に任せた日には、話が進まずに逆にさかのぼって、気がついたら間違いなく、ルドルフ大帝までいっちゃうね」

「誰もそんなところまで、いかないわよっ!」

「じゃあエーリッヒ止血帝か、大負けに負けてマクシミリアン=ヨーゼフ晴眼帝くらいかな」

「令ちゃん! 人を馬鹿にするのもいい加減にしてちょうだい!」

「馬鹿になんかしてないわよ。その辺はまたこんど、剣客小説でも読む時に講釈してちょうだい。今日はわざわざ忙しい方たちにお運びいただいているのよ。趣味の丸出しはつつしむこと」

「……分かったわよ」

(おや、ずいぶんと素直に)

乃梨子は由乃さまが、つかつか歩み寄ってソファのクッションくらい、投げつけるかと思ったけど。

さすがにさっきと違って、自治領主さまが明らかに本気で注意したせいか、――由乃さまはそれ以上ごねることをしなかった。

手元のパネルを再操作すると、スクリーンに浮かび上がった系図のうち、不要な名前を消して簡略にして、あらためて口を開く。

「結論から言うと、現在下馬評で有力候補に挙がっているのは、主に次の二人です。すなわち先帝の皇長女・アマーリエが、京極公爵オットーに嫁いで生まれた公女・貴恵子。皇次女・クリスティーネが綾小路公爵ヴィルヘルムに嫁いで生まれた公女・菊代」

乃梨子はそれを聞いてたずねた。

「京極公に綾小路侯といえば、どちらもルドルフ大帝以来の名門ですね、由乃さま」

「そう。とくに皇女を正夫人に迎えてからは、羽振りのいいことといったら」

「とはいえ、生まれたのはどちらも娘ばかり」

「男子なら今回、否応なしに、ただちに登極していたでしょうね」

「でも、男子ではないにしても、後ろ盾は十分というわけですか」

志摩子さんのコメントに由乃さまはうなづき返して、

「そういうこと。結局はこのどちらかが、ゴールデンバウム王朝始まって以来の、初めての女帝になる公算が高いという、もっぱらの噂よ」

とりあえず、前ふりはこんなところかしら、と由乃さまが戻ってきて、自治領主さまの隣に座ったのに、乃梨子は口を開いて、

「そうすると由乃さま。つまり、どちらの娘が即位するにしても」

「即位するにしても?」

「新帝には、大きなオマケがくっついてくることになりますね」

乃梨子の何の気なしのつぶやきに、由乃さまも、他の二人も「ククッ」と、口を押さえて吹き出した。

(そんなに面白かったかな?)

別にうけを狙ったつもりもなかったのだけど。

「あの、なにか……」

乃梨子がは首をかしげると、自治領主さまがコホコホとせきをしながら、

「いやいや、なんというか。こちらの修道士(スール)は飲み込みが早くていいね、司教」

「ありがとう」

志摩子さんが礼を言うのに、自治領主さまはうなづいて乃梨子に向き直り、

「オマケね! まったく、おっしゃるとおりよ、乃梨子ちゃん」

「しかも両家の主ともに、選民意識が服を着て歩いているような自己中。典型的な門閥貴族。本当に、余計なオマケだわ」

世間の迷惑よと、由乃さまが言うのに、自治領主さまは苦笑いして、

「京極公爵にしても綾小路侯爵にしても、自分の娘を女帝に立て、自分は摂政になって国政を思いのままに動かそうと、てぐすね引いて待っているというところでしょう」

「でも、どちらが即位するにしても、もう一方が黙っていないわよ、自治領主さま」

由乃さまが付け加えるのに、自治領主さまは、

「内乱は避けられない。――世の乱れに乗じ、いよいよ、わが地球教の出番か」

そう言って志摩子さんと顔を合わせ、

「――あなたのお父さまも、これからお忙しいわね」

志摩子さんは、それを肯定するとも否定するともつかず、ちょっとだけ首を傾げた。

「自治領主さまは、志摩子――司教さまのお父さまをご存じなのですか?」

乃梨子は訊ねた。志摩子さんのお父さまは地球教のフェザーン大司教で、リトル・レジデント教会という由緒正しい聖堂の司祭さまである。

お偉方だから、自治領主さまとお知り合いでも不思議ではないのだが、

「リトル・レジデントは、ルビンスキー家代々の菩提寺なのよ」

「あ、檀家ですか」

種を明かせば簡単なことだった。志摩子さんは、

「自治領主になられる前からのお付き合いね」

むろんいまどき、そういつもいつもお寺と檀家が顔を付き合わせるわけではないけど、

「でも、志摩子、いや司教のお父さまにはいつもお世話になっているよ。――選挙のときは特に」

そういって自治領主さまが軽くウィンクし、志摩子さんは静かな微笑を浮かべて、

「どういたしまして。たいしてお役にも立ちませんで」

――うふふ

――あはは

(……また幻聴が聞こえてきた)

しかも何となく、陰翳を帯びて聞こえるのはどうしたことだろう。乃梨子は思わず横の志摩子さんに視線を移した。

と、志摩子さんは自治領主さまに向かって、

「――ところでその父から聞いたのですけど、ついこの間、地球へ巡礼に行かれたとか」

「あ、行ったよ。途中、どこにも立ち寄らず、行って帰っただけだったけど」

自治領主さまは由乃さまと顔を見合わせて笑った。

(巡礼?)

地球まで巡礼といえば、手間も時間もお金もかかる。

よほど熱心な信者でもめったにできることではない。さすがに自治領主ともなると、それなりに宗教にも熱心なのだろうか。

「あ、いや。お二人さんの前でなんだけど。巡礼自体は二の次でね、山登りに行ったのよ」

「山登り?」

「由乃の長年のリクエストでね、総本部のお山に」

「――総本部のお山!?」

乃梨子はさすがに驚いた。

由乃さまがニコニコしながら、

「どう、乃梨子ちゃん。ビックリした?」

「――ビックリしました」

(それは、知っていれば誰でも驚くだろう)

総本部のお山といえば、標高数千メートルの、いにしえに地球第一とも第二ともうたわれた高山。

むろん普通の人間の登れるような山ではない。

「むろん歩いてじゃないわ。もともと由乃は体が弱くてね。飛んだり跳ねたりなんて無理だったのだけど、先日手術をしたおかげで、やっと気をつけて山に登るくらいならオーケー、という医者の許可が出たの」

(――ああ、分かった)

由乃さまがマジックが得意なのは。――おそらくは病床で、室内遊戯に習熟する時間がたっぷりあったからか。

乃梨子はちょっと納得したが、それにしても、あの総本部のお山にいきなり登山だなんて、

「たいしたものですね、由乃さま」

「そりゃこの子ったら、自分で登ったわけじゃないわ。馬に乗って登ったのよ」

「馬?」

それはかつて人間の乗用に使われたという、古代生物のことだろうか。

いまは博物館に剥製がある程度だと聞くが。

(さすが地球だ)

もう少し馬という生き物の話を聞きたいと、乃梨子は思ったが、由乃さまは口をとがらせて、

「何よ、自治領主さまったら、二言目には馬、馬、馬と、馬のことばっかり!」

「だってそうじゃないの。私のほうはおかげで足にマメだらけよ」

「うるさいわね! そんなに馬に乗りたかったのなら、木馬でもザクでもホワイトベースでも、勝手に乗ればよかったのよ!」

(……ザクというのは〈馬〉の一種だろうか?)

何だかよく分からないが、とにかく馬の話題はこれ以上持ち出さない方がよさそうだ。

「――ところで、話を元に戻しますけど」

そこで話題の転換に口を切ったのは、またもや志摩子さんだった。

「考えうる新皇帝の候補者は、――他にまだいるのではないかしら?」

 

 

 3、

 

「他の候補者? そうねえ」

由乃さまが首をひねるのを見ながら、乃梨子はちょっとゴールデンバウム帝室の系図を思い起こして、

「あの、由乃さま」

「誰か思い当たる人がいる?」

「西園寺侯爵家の、孫娘はどうでしょうか」

「ゆかり公女のこと?」

「はい」

自治領主さまは乃梨子と由乃さまとの会話に、ちょっと首をひねっていたけど、やがて顔を上げて、

「――ああ、あなたたちの言っているのは、要するに〈大皇女〉の孫娘のことね」

「そうです、自治領主さま」

先帝フリードリヒ四世の妹であり、ただ一人生き残った係累でもある通称〈西園寺大皇女〉は、大貴族同士の勢力均衡を保つため、わざと中流貴族の西園寺(その頃はまだ伯爵家だった)へ嫁いだという女性である。

(父帝のオトフリート五世が、ふだんは使わない頭を最大限に絞って考えた、均衡策だそうだが)

しかしその甲斐あってか、大皇女はつまらない勢力争いに巻き込まれることもなく現在に至り、皇族の最長老として様々なところに影響力を保持しているらしい、――といった話が、乃梨子あたりの耳にさえも入ってくる。

「血は少し遠くなりますが、大皇女がにらみを効かせれば、かなり有力な候補たりうるのではないでしょうか、由乃さま」

「本来なら、ね」

「――といいますと?」

由乃さまは少し考え込んでいたが、

「大皇女はね、乃梨子ちゃん」

「はい」

「いま現在、――引きこもってるの」

「――は?」

引きこもってる?

「大皇女が、ですか?」

「そう」

何なのだ、それは?

「つい先ごろ、足に怪我をして車椅子生活になったんですって」

由乃さまのいうところによれば、大皇女はつい二三日前、兄である先帝の梓宮を礼拝しに皇宮を訪れた。

「それが大皇女のここ三ヶ月で、唯一の外出ね」

それ以外は、自室に閉じこもったまま、家族にさえ面会を許さないという、――のだけど。

「でも由乃さま、ことは銀河の一大事です。仮にも自分の孫娘がルドルフ大帝以来の玉座に座るかもしれないという、この大事な時に、大皇女はあえて引きこもっているのですか?」

「――何か事情を知っているのでしょう、由乃?」

自治領主さまの問いかけに、由乃さまは軽く舌を出して、

「むろんよ。この由乃・サン=ピエールに知らないことはないわ」

「――由乃」

「はいはい、分かってるわよ、令ちゃん」

由乃さまはうるさげに手を振ると、

「あのね、志摩子さん、乃梨子ちゃん」

「はい」

「大皇女はね、家族と仲が悪いのよ」

「と、言いますと?」

「簡単に言うと、ものの考え方が全く合わないの」

西園寺家はもともと、さしたる名家というわけではなかったのだそうだ。

「せいぜい中流ね」

それがとつぜんの皇女降嫁で上流に浮上した。そのことがきっかけとなって、皇女の亡夫をはじめとして、その息子夫婦や孫娘に至るまで。

とにかく奇妙なまでに、万事につけて〈気取る〉傾向が強いのだ、――と由乃さまはいうのだった。

「いきなり成り上がったのですからね、舞い上がりもしたのでしょうけど」

あげく、似つかわしからぬ華美贅沢に身辺をひたすら飾り立てる。

自治領主さまが、少し皮肉そうな口調で、

「――そのあたり、正真正銘の貴人である大皇女には、我慢できない趣味の悪さというわけか」

「そういうことね、自治領主さま」

しかしそれにしても、今回大皇女が引きこもりになったその直接の原因というのが何か具体的にあるのではないか、と乃梨子は思ったのだけど、

「そのとおりよ。乃梨子ちゃんはフランク・フルター・クランツ、つまり通称「白の宮殿」をご存じ?」

「帝都オーディンの郊外、ノイエ・カルイザワにある夏の離宮ですね」

白の宮殿、――通称とは少し違って、淡い桃色の壁面が若葉の森の中に見え隠れする、ちょっと洒落た小宮殿。

「そう。大皇女お気に入りの別邸だったのだけど――」

先日、まだフリードリヒ四世が危ないとは見えなかった頃。

皇帝の臨御を仰ぐためとか言い出して、侯爵夫妻が、大皇女に無断で、勝手にその「白の宮殿」を見た目のひたすら〈豪壮華麗〉、――つまり悪趣味な別荘に改築してしまったのだという。

「それは、――大皇女は怒ったでしょう、由乃さま」

「当然ね。文字通り怒鳴り込んだあげく、逆上して、はしたなくも駆け上った階段で足を滑らせた。それが今回の怪我の原因だったというのですもの」

それは、なるほど孫娘を擁立するどころではないだろう。

「擁立どころか、内々に意向を問い合わせてきた京極や綾小路に向かって」

――そちたち、西園寺の娘がゴールデンバウムの玉座につけると思ってか。

そんなことはたとえそちたちが許しても、私が許さぬ、――とまで。

大皇女は冷笑して言い切ったという。

「それはまた、思い切って怒らせたものですね」

「というわけで乃梨子ちゃん、孫娘の後ろ盾どころじゃないわけ」

西園寺ゆかり公女の即位の可能性は、万が一にもありえないのよ、――と由乃さまが言いかけたところへ、小さな声が、

「……あの」

「だから、ありえないのよ」

「あの、由乃さん」

「――なに、志摩子さん」

「私が、言いたかったのは」

「言いたかったのは? 何よ、志摩子さん」

「私が言いたかった〈候補者〉というのは、ゆかり公女のことでは、ありませんの」

志摩子さんは言葉を少しずつ、かみ締めるように口にした。

(そういえばさっきから)

ここぞというところで口を切るのは志摩子さんなのに、いざ話が始まると、その志摩子さんのご意見は、ぜんぜん伺っていなかったような気がする。

(……口をはさむ隙を、見つけられなかったのか)

「というと誰なの、志摩子さん」

由乃さまが意識してかしないでか、何となく畳み込むような口調なのを、さすがに見かねてか、自治領主さまが、

「由乃」

「何よ、自治領主さま」

「少し黙って、司教の言うことを聞きなさい」

「――分かった」

素直に由乃さまが引き下がるのに、自治領主さまは頷くと、志摩子さんを促して、

「――で、司教の言う候補者というのは、誰なの?」

すると志摩子さんは、軽く首をかしげながら、

「肝心な人のことが話題にないと思いますの」

「肝心な人? 誰のこと、司教?」

問いを重ねる自治領主さまに、志摩子さんは、

「――先年急死した、本来だったら後継者のはずの福沢皇太子に、王女がいましたわね。彼女はどうなっているのでしょう?」

「ああ、志摩子さんの言っているのは、故・福沢皇太子の遺児、祐巳王女のことね」

由乃さんは頷いて、

「それはそもそも無理なのよ。番外といっていいわ」

「なぜかしら? 血筋から言えば、彼女は先帝の唯一の直系でしょう。西園寺は言うに及ばず、外孫の京極や綾小路とも比べ物にならないはずだわ」

「ところが祐巳王女は母親の身分が低いのよ。つまり有力な後ろ盾に欠けるの」

乃梨子は頷いた。後ろ盾のないまま後継者レースに名乗りをあげるというのは、――下手をすれば、それは〈死〉を意味する。

「だから、祐巳王女については、同情的な人間にしても、そうでない人間にしても、とにかく最初から〈いなかったことにする〉というのが、暗黙の了解なのよ」

それによって、少なくとも祐巳王女の身命だけは保証されるわけだ。

「というわけで後ろ盾という点では、大皇女が出馬する意思のない以上、京極・綾小路両家のどちらかだけが、最終的な候補たりうるだろうということになるわけ」

「……それなのだけど、由乃さん」

「貴族たちは、いまや完全に、この両派のどちらかに所属して、真っ二つに分かれているわ」

(……あれ?)

――何かたったいま。

何かに引っ掛かったような気がして、乃梨子は由乃さまの方を見やった。

(……私は)

何か見落としてはいなかったか?

乃梨子は志摩子さんの様子をうかがった。

志摩子さんは落ち着き払って、思案しているようだったけど、やがて、

「由乃さん」

「なあに、志摩子さん」

「貴族たちは」

「貴族たちは?」

「貴族たちは、――真っ二つに分かれているのね」

「そうよ、むろんまだ旗幟不鮮明な貴族もいないではないけど――」

(――あ!)

乃梨子は気がついた。

「由乃さま!」

「?」

「貴族たちは、真っ二つに分かれているのですね」

「そうよ、何度もそういっているじゃない」

「ええ、それは分かります。それは分かるのですが」

「いったい何が言いたいの、二人とも?」

いささか困惑気味の由乃さま。

乃梨子は志摩子さんを見やると、志摩子さんはこくんと首を盾に振った。

「由乃さま。〈貴族たち〉は、二つに分かれたというのは、了解しました。ですが」

「ですが?」

「〈貴族以外の者〉は、どうなりましたか?」

「え?」

由乃さまは明らかに虚を突かれたようだった。それを気に留めずに、乃梨子は言葉を重ねる。

「銀河帝国の勢力を支える基盤は主に三つに分かれます。貴族、――そして軍隊と官僚です」

そこで自治領主さまが、ああ、と手を打った。

乃梨子は続ける。

「由乃さま。貴族以外の勢力、――軍隊と官僚は、どういう反応なのでしょう」

「どうって……」

由乃さまは言葉に詰まった。そこへ、

「私、祐巳王女の後ろ盾に立ちそうな人間に心当たりがあります」

志摩子さんが静かにいった。

自治領主さまが短く問いただす。

「だれ?」

「実務官僚のトップ、国務尚書。――松平侯・瞳子!」

由乃さまが、大きく目を見開いた。

 

 

 4、

 

みんなしばらく沈黙していた。

由乃さまがソファの上の小さなクッションを手に取ると、しばらく両手でもてあそんでいたけど、やがて自治領主さまに向かってぽんと放り投げて、

「国璽を握っている松平候なら、先帝の委託と称して遺詔を作るのはたやすいことだわ」

遺詔、――つまりは皇帝の遺書のことだ。

自治領主さまは受け止めたクッションを横に置くと、

「そういうものね、確かに」

そう、そういうものだ。たとえそれが皇帝の〈本当の意思〉でなくとも、国璽の押された詔書は十分〈本当の意思〉として通用する。

(いや)

むしろ国璽の押された、つまり実務官僚の手を通した詔書のみが、皇帝の〈本当の意思〉として通用する。

巨大な組織を支える官僚制度って、そんなものだ。

(うちの地球教だって、大して変わらないし)

乃梨子は地球教のお宗旨そのものには、正直いってあんまり関心はない。だから幻想も持っていなかったし、入信してから、地球教の内部で奇妙に官僚主義がまかり通っているのをいくども目にしたけど、驚きもしなかった。

いや、それ以前に。

地球教の組織がどうであるか以前に、そもそもだ。

地球がありがたいとか、ありがたくないとか、

(そんなことは地球経典朗読会の人たちにでも任せておけばいい)

――くらいにしか、正直思えない。

そう、地球は何よりも〈美しい〉のだ。

神秘化、権威化してありがたがっている地球教徒たちに、少なくともその〈美しさ〉が分かっているとは思えない。

――なんて青い星。

初めて地球を宇宙から眺めて、つぶやいた乃梨子に、志摩子さんはまるで、

(そう、夕空にひっそりときらめく宵の明星)

そんな静かな笑顔を見せて、

「むかし、聖ガガーリンが同じようなことをおっしゃったそうね」

地球教の成人の名前を挙げて、そして、

――それはあなたの心を映した鏡。

ひっそりとつぶやいた。

その志摩子さんの、まるで暗黒馬頭星雲のような、かすかなうす桃色に染まった微笑む顔を見て、

(とりあえず修道士になってみよう)

あのとき、乃梨子は地球教への入信を決心したのだ。――――

「――それは本当?!」

由乃さまの大声で、乃梨子はわれに返った。

緊急連絡用のフォンを手に、由乃さまは真剣な声で応答している。

「そう、確実なのね。分かったわ、ご苦労さま」

フォンを切ると、由乃さまは乃梨子たちのほうを振り返って、

「西園寺大皇女が、祐巳公女の即位を支持したわ」

「――仔細は、由乃?」

自治領主さまの問いに、由乃さまは、

「不明。ただし報告では、大皇女は祐巳公女を〈てんしさま〉と呼んだそうよ」

「それは、また」

おもわず乃梨子は志摩子さんと顔を見合わせた。

(〈天子さま〉――か)

明白な即位支持である。

「由乃さま、皇族中でもっとも有力な大皇女がそこまではっきりと態度を表明したということは」

「とりあえず京極、綾小路の目はなくなったわね」

そう、それはそうだ。でも、

「このままで収まるとも思えません」

乃梨子の言葉に、自治領主さまが、いかにもさらりと、

「血を見るわね」

そうおっしゃった。

(――松平候・瞳子だけなら、事態の推移は知れているけど)

官僚組織のトップとはいえ、候自身は一兵の指揮権も持っていない。

私的に動員できる兵力においては、

「松平家は名門ではあるけど、先帝の女婿として三十年来権勢を保ってきた京極・綾小路には、とても及ばない」

由乃さまの分析に、志摩子さんも乃梨子も同意する。つまり本当なら勝負にならないのだけど、

「松平侯は間違いなく外部、――つまり〈軍隊〉に助力を求めるでしょうね、由乃さま。それも、そのあてにする先は」

「さしずめ例の〈紅薔薇の竪子(べにばらのつぼみ)〉、――というところよね」

応じる由乃さまに、乃梨子はうなづいて、その名前を口に出してみせた。

「帝国元帥、――小笠原伯・祥子さま」

先帝の急死で、寵妃であった姉、つまり水野伯爵夫人・蓉子もろとも、没落するという噂もあったけど、自治領主さまは肩をすくめて、

「――まあ、それは門閥貴族たちの、勝手な思い込みね」

たとえ同じ地位と権力を与えられたところで、同じような成果を得られるわけでもないのに。

それをいまだに〈姉の七光り〉としか理解できない、おろかな貴族たち。

「でももうすぐ、あの〈紅薔薇の竪子〉の実力と凄みを骨身にしみて理解させられることになるでしょう。いやがおうにもね」

「はい、自治領主さま、そう思います」

「――いずれにせよ」

そして、自治領主さまは、まるでささやくように、ひっそりとつぶやいたのだ。

「われわれの、戦略もよくよく気をつけなければね」

(……あれ?)

――そのときの乃梨子は、少し過敏かなと思わないでもなかったのだけど。

でもその自治領主さまの、その言葉の響きが、ふと気になった。

(「われわれ」?)

そのわれわれとは、どの「われわれ」を意味するのだろうか。

(それは……)

必ずしも地球教をも、意味しないのではないか。

乃梨子は一瞬そんな疑惑を抱いたけれど。

そこへ、また緊急フォンが鳴り響いて、由乃さまがあわただしく席を立って、

「私よ、今度はなに?!……な、なに、何ですって!!」

次の瞬間、由乃さまが口にした内容に、乃梨子はそのとき考えていたことを頭の片隅へ追いやらざるを得なかったのだ。

――なぜなら。

 

 

 

「即位しない、ですって?」

帝国元帥、小笠原伯・祥子さまの声は、静かなだけにかえって迫力があって、祐巳は思わず体が固くなったけど、でも思い切って、

「……はい」

と答えた。

ここは新無憂宮・黒薔薇の間。

謁見や儀式に使われる黒真珠の間ほど大きくはないけれど、それでも後宮の奥の、ささやかな部屋からあまり出る機会のなかった祐巳には、十分気がひける、立派な部屋だった。

「面白くなってきた」

そう言ったのは、えっと、確か佐藤男爵夫人・聖さま。

女性ながらも男爵家の当主で、祥子さまのお姉さま、水野伯爵夫人・蓉子さまのご友人だという。

祐巳の真正面には仁王立ちの祥子さま。その斜めうしろには、聖さまと、同じく蓉子さまのご友人だという鳥居子爵夫人・江利子さま。そしてお二人の間に蓉子さまがいる。

――その蓉子さまは、言葉の静かさとはうらはらに、こめかみをピクピク震わせている祥子さまを手で制してくださって。そして、

「どうして?」

「どうして、といわれても……」

「祐巳ちゃん。あなたは、れっきとした先帝フリードリヒ四世陛下のお孫さまなのよ。どうして皇帝になるのはいやなのかしら?」

たしかに、祐巳はゴールデンバウム皇室の正統の血筋なのかもしれない。

もっとも皇太子のお父さんが早くに亡くなってからは、そんなに大切にされた覚えもないけど。でもとにかく、

「うまく説明できないけれど。でもゴールデンバウムの血筋、皇族だからって、必ずしも誰も彼もが皇帝になりたいと思うかというと、そうじゃないんじゃないかと……」

「ふうん」

「皇族だからこそ、皇族なりのプライドとかもあるわけで」

「当然よだれをたらして皇帝の玉座を狙う、なんて思われるのは心外だ、と」

「ちょっと違うと思うけれど……」

気持ちを言葉に変換する作業は、とても難しいことだと思った。

「どっちにしろ、祥子はまたもや振られたというわけ」

「かわいそうな祥子。番狂わせの二連敗」

「最近のゴールデンバウムの方々、やってくれるわね」

蓉子さまや男爵夫人さま、子爵夫人さまは祥子さまを取り囲んで口々にいった。

「お姉さま、男爵夫人さま、子爵夫人さま、面白がらないでください!」

「だって、祥子。あなた、そもそも西園寺大皇女にご即位を願って、それであっさり振られたんでしょ」

「次は祐巳公女にまで振られて」

「見え透いた傀儡に据えようなんてするからよ」

相次いであれこれといわれて祥子さまは、無理やりに笑顔らしきものを作ると、

「そんなことをおっしゃるひまがあったら、代替策を考えていただきたいものですわ。玉座にいつまでも皇帝が不在というわけにはいきませんのよ」

「あの……そんなにお困りになるんでしょうか?」

何となく申し訳なくなって、祐巳が思わずそう口に出すと、祥子元帥さまは、

「あらあなた、まだいたの」

「……」

まだ、というほど時間もたっていないのに、いくら何でもあんまりだ。

「即位しない皇族に用はないのよ」

「あの、わ、わたし」

「何よ。同情で即位なんか、してくれなくってよろしくってよ」

「……」

即位は同情でするもんじゃないし、と思ったけど、祐巳はそうはいわずに、

「私、やっぱり即位してもいいです」

「……しなくていいといっているのよ」

祥子さまは祐巳に背を向けてしまった。

鳥居子爵夫人さまが肩をすくめて、

「……変な仏心を出すものじゃないわよ」

(……)

子爵夫人さまの言い放った『仏心』は、祐巳には、大神オーディンの守護したまうこの新無憂宮には、ちょっと浮いているような気がしたのだった。

 

 

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